
人体というのは、正直だ。
使わなければ、固まる。動かさなければ、忘れる。サボった分だけ、ちゃんとツケが回ってくる。そのことを、俺は右肩で学んだ。
動かせない理由と、動かさない言い訳
職場復帰後、自宅でのリハビリは一応続けていた。「一応」というのが、既に答えだ。
フックプレートが鎖骨に固定されている間は、そもそも90度以上の挙上に制限がかかっている。物理的な上限があるのだから、無理に動かす必要はない。当時の俺はそう解釈していた。しかしそれは半分は正しく、半分は都合の良い言い訳だった。
問題は、90度以下の範囲でもしっかり動かさなければいけないのに、それすらも怖くてできていなかったことだ。
入院中に理学療法士さんに言われた言葉が、頭の片隅にずっとあった。「しっかり動かしていかないと、固まってしまいますよ」。分かっていた。分かっていたのに、あの骨折直後の激痛が条件反射のように蘇るたびに、腕を上げる動作にブレーキがかかった。脳が、拒否するのだ。
原因不明の、走る痛み
リハビリをサボり続けた代償は、じわじわと現れた。
右肩の可動域が、少しずつ狭くなっていった。最初は気のせいかと思った。しかし週を重ねるごとに、腕を上げられる角度が確実に減っていく。鏡の前で両腕を上げてみると、右腕だけが途中で止まる。見ていて、なんとも心もとない光景だった。
それだけではなかった。
ある夜、突然それはやってきた。骨折部だけでなく、そこから筋を伝うように、上腕、前腕、指先まで駆け抜けるような激しい痛み。まともに歩くことさえできないほどの強さで、表現するなら「その部位の筋が、根元からねじれるような感覚」だった。
何が起きているのか、俺には分からなかった。
骨は順調に回復していると聞いていた。プレートもきちんと固定されている。なのになぜ、こんな痛みが走るのか。今になって振り返れば、肩が凍結していくときの痛みだったのか、あるいは骨折の際に同時に損傷した靭帯が悲鳴を上げていたのか、どちらかだったのだろうと思う。しかし当時は、原因の見当すらつかなかった。
腹落ちしない診察室
月に一度の主治医の診察は、俺にとって唯一の「答え合わせの場」だった。
原因不明の激痛のこと。可動域がどんどん狭くなっていること。自宅リハビリだけでは限界を感じていること。毎回、それらをまとめて伝えた。
しかし返ってくる言葉は、なかなか俺の腹には落ちなかった。
「様子を見ましょう」「リハビリを続けてください」「骨の回復は順調ですよ」。どれも間違いではないのだろう。しかし「なぜ痛みが走るのか」「可動域はどこまで戻るのか」という、俺が一番知りたいことへの明確な答えは、ついに来なかった。
管理職として、俺は常に「なぜ」と「どうすれば」を求める人間だ。原因が分かれば対策が立てられる。しかし医療の現場では、「分からない」ことが答えになることがある。それが分かっていても、やはりヤキモキした。
一方で、診察のたびに撮るレントゲンは、毎回確かな変化を見せてくれた。
受傷直後、バラバラに砕けていた鎖骨の断面。それが月を重ねるごとに、少しずつ、しかし確実につながっていく。白い影が埋まっていく様子は、まるでタイムラプス映像を見ているようだった。あのとき骨折した場所が、今では元通りに近い形を取り戻している。
現代医学の精度と、人体の持つ再生力。その両方に、俺は静かに驚き続けた。
ようやく、プロの手へ
手術からおよそ4か月が経った頃、俺はようやく主治医に相談した。
「自宅でのリハビリだけでは、限界があると思うんですが」
主治医はすぐに動いてくれた。通いやすい場所にある、理学療法士が常駐するクリニックを紹介してもらい、週に2〜3回、1回40分のリハビリに通うことになった。
初診の日、担当の理学療法士さんは俺の右肩の可動域を丁寧に確認したあと、率直に言った。
「手術からかなり時間が経ってしまっていますね。可動域がかなり狭くなっています」
凍結肩。
その言葉を、俺は初めてちゃんとした文脈で聞いた。入院中に理学療法士さんに「固まってしまいますよ」と言われたあの警告が、4か月越しに現実になっていた。
自業自得だと分かっていた。あのとき恐怖に負けてリハビリをサボった俺が、その代償を今になって払っている。しかし後悔しても肩は動かない。あとは前を向いてやるしかなかった。
「時間はかかりますが、一緒に頑張りましょう」
理学療法士さんの言葉は、主治医の診察室では得られなかった「腹落ち感」を持っていた。原因と現状と、これからやるべきことが、ようやく一本の線でつながった気がした。
俺のリハビリは、ここから本当の意味で始まった。
次回「昇進と、抜釘と、運命のめぐり合わせ」へ続く。