
今度は、逃げない。
2回目の手術を終えた夜、ぼんやりとした意識の中で、俺はそう決めていた。
手術2日目、リハビリ初日
抜釘手術の翌日、担当の理学療法士さんが病室に来た。
1回目の手術後、俺はリハビリの恐怖から目を背け続けた。骨折直後の激痛が条件反射のように蘇るたびに、腕を動かすことにブレーキをかけた。その代償が、凍結肩だった。あの苦い経験が、今回の俺を動かしていた。
多少痛くても、動かす。自分の身体を甘やかさない。
そう決めていたにもかかわらず、リハビリ初日は想定外の連続だった。
まず、痛みだ。内視鏡で肩関節周りの関節包の癒着をすべて切除しているのだから、当たり前といえば当たり前だ。しかし頭で分かっていても、実際に腕を動かすたびに走る痛みは、覚悟の上を軽々と超えてきた。
そして次に、ルーズ感。
癒着していた組織がすべて取り除かれた肩は、まるで関節が「空洞になった」ような、頼りない感覚があった。プレートが入っていたときの「固定されている重さ」とも、凍結していたときの「動かない重さ」とも違う。グラグラとまでは言わないが、どこか心もとない。
担当のPTさんは、俺の肩の状態を確認しながら、少し頭を抱えていた。
術前に組んでいたリハビリのプログラムが、ほとんどできない。関節包を切除した直後の肩には、想定していた負荷をかけられる状態ではなかった。俺も、PTさんも、初日はお互いに現実を確認することで精一杯だった。
傷口とともに、落ち着いてきたもの
しかし身体というのは、日々変わる。
術後の傷口が少しずつ治癒していくにつれ、あのルーズ感は徐々に落ち着いてきた。肩が「自分のもの」として機能し始める感覚が、じわじわと戻ってくる。
そして何より、可動域が明らかに広がっていた。
プレートが入っていた間は、90度という物理的な上限があった。それが取れた今、腕が90度を超えて上がっていく。たったそれだけのことが、俺には小さな感動だった。毎週、毎回のリハビリで、昨日できなかったことが今日できるようになる。その積み重ねが、通い続ける理由になった。
1回目の手術後、自宅でリハビリをサボり続けた俺とは、別人のようだったと思う。あの凍結肩という代償が、俺を変えた。痛みから逃げることの方が、長い目で見れば何倍も辛いということを、身体で学んでいたから。
懸垂バーの、あの瞬間
可動域が戻るにつれ、自宅での筋トレも少しずつ再開した。
1回目の手術後は、90度以下でのダンベルトレーニングと脚を中心としたメニューしかできなかった。しかし背中を鍛えるには、どうしても懸垂が必要だ。肩を90度以上に挙上し、自分の体重を両腕で支える。骨折前は当たり前にやっていたその動作が、この1年近く、完全に封印されていた。
抜釘後、まずはチューブを使って90度以上の挙上動作に少しずつ負荷をかけていった。痛みを確認しながら、慌てず、しかし着実に。そして「いける」という手応えが積み重なってきた頃、俺は懸垂バーの前に立った。
両手でバーを握る。息を吸う。
そっと、体重を預けた。
骨折部位に、確かに痛みはあった。しかしそれは、「これは無理だ」という痛みではなかった。「まだ完全ではないが、耐えられる」という種類の痛みだ。骨折を経験した人間だけが分かる、あの感覚の違い。
ぶら下がりながら、俺は思った。
医学って、凄いな。
バラバラに砕けた鎖骨が元通りになり、固まりきった肩関節の癒着が切除され、チタンのプレートが10か月間骨を支え続けた。その積み重ねの果てに、今俺はここに立って、バーにぶら下がっている。当たり前のようにできていたことを、当たり前に取り戻すために、これだけの時間と医療と人の手が必要だった。
骨折した日から、どれだけの人に支えてもらっただろう。救急の医師、手術室の看護師たち、PTさん、職場の部下たち、そして妻。そのすべてが積み重なって、今この瞬間がある。
大げさかもしれないが、バーにぶら下がりながら、俺は本気でそう思っていた。
次回「ブロック注射と、腹落ちした診察室」へ続く。