
以前、この連載で「腹落ちしない診察室」という話を書いた。
月に一度の主治医の診察で、原因不明の激痛について聞くたびに、俺が求める「なぜ」への答えは返ってこなかった。様子を見ましょう、リハビリを続けてください。その繰り返しに、静かにヤキモキし続けていた日々の話だ。
あれから時間が経った。
同じ診察室で、俺は少しだけ違う景色を見ることになる。
月一の診察と、積み上げた報告
抜釘後も、月に一度は手術をした病院で主治医の診察を受けていた。
リハビリを頑張っていること。可動域が少しずつ広がっている実感があること。それでもまだ、動かすたびに痛みが残っていること。毎回、その3点を整理して診察室に持ち込んだ。
以前の俺は、診察室で「答え」を求めていた。なぜ痛いのか、いつ治るのか、何をすれば良くなるのか。しかし今の俺は少し違った。答えを求めるより、現状を正確に伝えることに集中していた。管理職として部下の状況を上司に報告するときと、構造は同じだ。感情より事実を、曖昧さより具体性を。
主治医も、以前より話しやすそうに見えた。
こちらの伝え方が変わったのか、それとも長い付き合いで互いに慣れてきたのか。おそらく両方だろう。
エコーと、針と、ブロック注射
術後3か月ほど経った診察で、主治医が切り出した。
「一度、注射を打ってみましょうか」
ブロック注射というものだった。エコーで患部を確認しながら、痛みが出ている部位まで直接針を刺し、液を注入する。そうすることで炎症が抑えられ、痛みがしばらく治まる。その間にリハビリをしっかり行い、可動域をさらに広げていくという作戦だ。
説明を聞いて、俺は少し身構えた。
エコーを見ながら針を刺す、という響きが、なんとも物騒に感じられたからだ。しかし主治医の「やってみる価値はありますよ」という言葉は、以前の「様子を見ましょう」とは明らかに質が違った。具体的な手立てが示されることの安心感というのは、こういうことかと思った。
処置は、思ったよりあっけなかった。
患部にエコーを当てながら針の位置を確認し、ゆっくりと液を注入する。じんわりとした圧迫感はあったが、恐れていたほどの痛みではない。数分で終わった。
プラシーボかもしれない。それでも。
効果は、思いのほか早く現れた。
注射を打った翌日のリハビリから、明らかに動かしやすくなっていた。あれだけしつこく居座っていた痛みが、すっと引いている。PTさんも「動きが全然違いますね」と言った。
正直なところ、プラシーボ効果の可能性は否定できない。
「注射を打った」という事実が俺の心理に作用し、「痛みが治まるはず」という思い込みが身体の感覚を変えた、という可能性は十分ある。医学的に効いたのか、気持ちが先に動いたのか、今でも分からない。
しかし、どちらでも構わないと思っている。
結果として、その後のリハビリを俺は今までで一番頑張れた。腕が上がるたびに走っていた鋭い痛みが鈍くなり、PTさんの指示に対して「無理です」と言う回数が減った。痛みに怯えながら動かすのと、「大丈夫なはず」という感覚で動かすのとでは、積み重なる結果が全然違う。
たった一本の注射が、俺のリハビリを一段引き上げた。
腹落ちした、あの日の診察室
ブロック注射を打ってから数週間後の診察で、主治医に経過を報告した。
痛みが和らいだこと。リハビリの質が上がったこと。可動域が着実に広がっていること。主治医は頷きながら聞き、「それは良かった」と言った。その言葉が、以前と違って素直に耳に入ってきた。
以前の俺は、診察室で「答えが返ってこない」ことにヤキモキしていた。しかし今思えば、あの頃の俺は「聞き方」も「伝え方」も、整理できていなかった。痛みと不安を抱えたまま診察室に入り、漠然とした不満を漠然とした言葉で伝えていた。それで腹落ちする答えが返ってこなくても、当然といえば当然だった。
医師も人間だ。
こちらが具体的に伝えれば、具体的に返せる。関係性は、一方的に作られるものではない。プレイングマネジャーとして、部下とのコミュニケーションで何度も実感してきたことを、俺は診察室でようやく実践できていた。
腹落ちしない診察室は、気づけば腹落ちする診察室になっていた。
変わったのは主治医ではなく、俺の方だったのかもしれない。
次回「症状固定という名のゴールテープ」へ続く。